ŋの英単語帳

英単語

gifted and/or talented

mainichi.jp余録:「天才」は英語でジーニアスだが… - 毎日新聞 (web.archive.org)

 

 毎日新聞の朝刊一面の下のコラム『余録』で、こんなのがあった。「天才」は英語でジーニアスだが…と。

 

 なるほど学校で「天才」は genius(新JACET #3380)って習うと思う。確かにそういう意味がないではないけれども、どちらかと言えば、傑出した才能を指すと思う。そうした才能を持つ者、天才という意味合いはないんじゃないかな

 

 むしろ英語では gifted(新JACET #5835)と talented(新JACET番外)の方が一般的だと思う。調べたら、gifted は学術分野、talented は芸術分野で、それぞれ天才という意味になるようだ。

 

 んで英欧米ではそうした gifted education というのが盛んだそうで、アメリカの場合、過半数の州で、落ちこぼれ防止教育とセットで gifted education が行われているとのこと。要するに小学校の入学なんかのときに screening やって、この子は gifted、この子は普通、この子は落ちこぼれ予備軍なんて選別して、それぞれに応じた教育を施すらしい。

 

 日本人でも gifted education について、いろんな人がいろいろ言ってるようで。ざっくりネットで調べたらおおむね、欧米は機会平等主義であるのに対し日本は結果平等主義であるから、適切な人物に適切な機会を与えるのが当然、日本は横並びをもってヨシとするから gifted education は受け入れにくい、という見解が一般的なようだ。

 

以下は私の個人的見解です:

 

ほんまかいな?

 

 だって日本は福沢諭吉大先生が「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言へり」と言ったぐらいで…

 

 もっともこれ「言へり」が問題。私が苦手な古文の文法解釈だけど、「言ふ」の已然形+完了・存続の助動詞「り」。ここでは存続だろうし、言うことの存続だから「言われている」という解釈になるかな。そのように言われていると諭吉大先生が言ったのは、このくだりが実は、アメリカ独立宣言のパクリだからなのだ。それはともかく…

 

 この諭吉大先生の文章全体を通してみれば、人間は平等だと言われているけれども実際のところ格差は厳然として存在する。なぜ格差が生じるかというと、それはきちんと勉強したしないの結果である。だからきちんと勉強しろよな、という内容。

 これが現代日本でも広く受け入れられているのだし、日本が結果平等主義であるとは考えにくい。むしろ逆で、機会均等・結果不平等が日本の本質だと思う。

 現代日本の問題は、そのもたらされた結果不平等が世襲的に引き継がれて、格差の階層の固定化をもたらしているのではないかという点だ。前世紀末から日本を席巻しているネオリベ政策が格差をヨシとしている。けれどもそれは機会均等・結果不平等と真逆じゃないの?閑話休題

 

 もともと日本は機会均等・結果不平等だから、わざわざ gifted education なんてやらなくても、やれるヤツはやれちゃうから必要ないってことじゃないのかなあ?

 

 英欧米が機会平等主義とも考えにくい。英欧はどうにもこうにも階級社会で、教育システムが学齢の低い段階で人生の先が決まっちゃうみたいな、私としては許容しにくいシステムだもん。ほんと小学校高学年で人生コースが決まっちゃうとか。

 アメリカもアメリカで、所得水準や人種で居住地域が違ってしまって、その居住地域の違いで子どもに与えられる教育のレベルが決まっちゃって、10代で人生ドン詰まりになっちゃう教育システムな訳だし。

 もちろん諸国もそれをヨシとはしていないのだろうけれども、現実問題として親の出自、門地や人種、所得水準で、教育水準に格差が出てしまう。そんな状況で gifted education なんてやったところでさぁ。どうにもならんだろ?

 

 かつて日本の芸大・美大では、学生を「ツブす」ことが普通に行われていたという。今はどうだか知らない…大学教育の現場の常識として、いまどきそういう指導をしたらそれはアカハラ(アカデミック・ハラスメント)になるので。

 

 それを肯定するつもりは毛頭ないけれども、一理はある。そんなツブしでツブれるような才能は、とうてい才能とは呼べないのであって。それなら別の道に行きなさいということだろう。

 

 あるいは、サイバラ西原理恵子)が 

女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと

女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと

 

美大に入学したときのことを書いてた。入学してみれば自分より絵の上手い人だらけで、自分はビリ。それじゃあどうすれば絵で食って行けるかを考えたと。

 

 みうらじゅんも 

マイ仏教 (新潮新書)

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だったと思うけど、美大でツブしを食らった経験を書いてたと思う。 石膏像のデッサンで教員にさんざんっぱらダメ出しを食らったあげく、その石膏像を誤って割ってしまった。そこで悟ったとか何とか…ちょっと手元に本がないので記憶モードだけど、教員のダメ出しは、精巧にデッサンすることが本質ではない、その石膏像を自分がどのように見たか、それをどのようにデッサンで表現するかがポイントである、という趣旨だったと思う。

 

 そんなこんなだし、幼少のミギリに才能を選別して教育するっての、なんか違うように思う。

 

 そもそも gifted って言葉は「神からの贈り物」という意味合いのコトバだもん。日本人の大多数はクリスチャンではないから、神様が才能ある人物を天から下すという概念は理解できないよ。

 だいいち神からの贈り物って、諭吉大先生がパクったアメリカ独立宣言の一節「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と矛盾してないかい?